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不定期連載/勝手に振り返る、ベイスターズ球場エンタメの歴史(1)2005年以前―YYパーク誕生前の話

さて、
本日より、
先日にもちらっとお話した話を、始めたいと思います。

YYパークの誕生(=ネーミング決定)ならびに
diana誕生から10シーズン目を迎える2015年を前に、
これまでのベイスターズの球場エンタメの話を、
個人の記憶を元に、さらっと振り返っていきたいと思います。

これまで、こんなことを積み重ねて、
ベイスターズの球場エンタメは大きくなっていった…
そんなことが、より多くの人に伝わればと思います。

そしてもし当時のことをご記憶の方で、
「それ間違ってる!」とか「こんなこともあったよ」とか、
そういった話などがありましたら、
是非コメント欄などで教えていただけたら嬉しいです!

皆さんと一緒に、ベイスターズ球場エンタメの歴史を、
正しくまとめ上げていきたいと思います。

さて、第1回の今回ですが、
YYパークの誕生以前、2005年以前の話から始めて行きたいと思います。
写真一切なしのテキストオンリーですが、もしよろしければ!

と言ってもそもそも、
自分が個人的に、ハマスタに通いつめるようになったのは、
まさに2005年が、最初の年でした―


●そもそもの、ハマスタの球場エンタメ

これは自分の記憶の中の話ですが、
そもそもハマスタでYYパークが誕生する前にも、
ハマスタでは独自のエンタメが既に定着していたと思います。

代表的なのは、「FMハマスタ」。
記憶が確かであれば、2005年の時点では既に行われていた、
ハマスタ限定のFM放送。
試合開始前から試合終了後まで、
ラジオをチューニングすれば聴こえてくる場内FM。
コンコースでも流れていましたし、
テレビ中継の副音声でも、流れていたと思います。

当時のスタジアムDJ・栗原治久さんやケチャップさん、
またTBSアナウンサーの方などが出演され、
リスナーのお客さんたちのメールを読みながら、
その日の試合展開を肴に、軽快なトークを繰り広げていました。
アナウンサーの方はキャリアを問わず出演されており、
個人的には"世界の松下"松下賢次アナも出演されていたことを覚えています。

今や日本を代表する右バッター・
我らがウッチー、内川聖一選手がアゴをさすりながら、
FMハマスタの宣伝をしてくれていたVTRも、2005年にあたりに流れていたかと。
「楽しいボールパークを!BE A HERO!」
そんなフレーズを覚えていらっしゃる方も多いかと思います。

昨年、佐々木主浩さんや金本知憲さん、湘南乃風のみなさんなどを迎えて、
大々的にFM放送をハマスタでやっていたことがありましたが、
それはもう、約10年前には既にハマスタの"日常"だったことなんですよね。

●盛り上げてくれた、ブラックホッシー

2004年までのハマスタで、
大きな話題を呼んでいたのは、あの、ブラックホッシー!
本家ホッシーよりも確実に人気の高かった(ごめんよホッシー)彼。
毎試合の登場ではありませんでしたが、
時折ハマスタにふらっと登場しては、
予測不能の動きをグラウンドで大爆発させてくれていました(^^;)
流星ジャンプ!
真似した人も多いかもしれません(^^;)

そんなブラックホッシーも、
2004年シーズンを限りに、ぱったりとハマスタから姿を消してしまいます。
どうしちゃったんでしょうね(^^;)

●2005年は、エポックな年でした

2004年の選手会ストライキなど、
球界再編の大きな動き・うねりが起こる中、
2005年を迎えたベイスターズ。

この2005年は、
ベイスターズにとっても、かなりエポックな年になりました。
すごく簡単に言えば、
ハマスタの内野ネットがなくなったのが、この年です。

それまで高いネットで遮られていたグラウンドとスタンド。
その内野のフェンスがぐぐぐっと低くなり、
ネットがなくなった―
それによって開けた視界の明るさたるや!
まさに、ベイスターズファンの"自慢"と言ってもよかったものでした。

今でこそ、内野ネットがなくなったり、低くなったり、
という光景は珍しいものではなくなりました。
札幌ドームやマツダスタジアムあたりは、その最たる例かと思います。

ですが、あの頃のハマスタのエポックな景色―
あれを始めて観た頃の感動は忘れることはできませんし、
今もなお、ハマスタに来たお客さんが、
「グラウンドに、めっちゃ近い!」
という感嘆の声を聞くことができます。
嬉しくなる、声なんですよね。

●石橋貴明EA誕生!

そしてこの2005年に起きた、もう1つ大きなこと。
それは、この横浜ベイスターズに、
新しいイメージキャラクターとも言うべき、大きな味方が現れたこと。

石橋貴明エグゼクティブ・アドバイザー(以下、EA)の誕生!

「帝京魂!」でおなじみ、帝京高校の元球児でもあり、
当時ベイスターズ監督の牛島和彦氏とも親交の深かった、
そしてTBS深夜にも野球番組のレギュラーを持っていた、
とんねるずの石橋貴明氏が、
なんとベイスターズのEAに就任!
ハマスタの"エンタメ化"に、一役も二役もかってくれることになったのです。

石橋EAの繰り出したアイディアはそれこそ、当時で考えてみれば、
今のDeNAスタッフが繰り出すアイディアにも匹敵するようなものばかりでした。
先の、内野ネットがなくなったことにも石橋EAの意向があった、
という話もどこかの本で見かけたことがあります(要出典ですね)。

当時は石橋EAが選ぶ週間MVPというのもありまして、
選ばれた選手が日曜お昼の「アッコにおまかせ!」に生出演していた、
ということもありました。ご記憶の方も多いと思います。
自分もよく、ハマスタで、生中継をしている光景を観ていました(^^)

また当時も既に「レディースデー」を行っていたり。
2006年だったと思いますが、
グレードアップ・シートという企画もありましたよね。
ビジョンにアピールしたお子さんまたはお子さん連れのグループが、
バックネットのシートに移ることが出来るという。
なんか、いろいろと懐かしいです!

そしてシーズン途中、
クルーンの160km/h超の快速球が話題を呼び始めた頃、
ハマスタのコンコースにも、
電球の表示でクルーンの速球を追体験できるコーナーができました。
当時の記事(NPB公式より)
このコーナーもかなり人気を博し、
コンコースをにぎわせていたように思います!

●左手にグローブ、右手にベイドッグ

また、内野ネットがなくなったことによって、
石橋EAや琢朗さんあたりが大きく提唱していたのが、
「グローブを持ってハマスタに来よう」という話。
とにかくファウルが飛んでくる確率が高くなったので、
グローブを持ってこよう!という話は、
試合前・試合中と、ビジョンにたくさん流れていたと思います。

バファローズ戦で、ブランボーの強いライナー性のファウルが、
売り子さんの顔に直撃して、大騒ぎになったこともありました。
幸い、売り子さんはほどなくして復帰できたのですが、
あの場面は、今でも忘れることのできないほどの、衝撃の場面でした。

そして当時ハマスタで発売開始され、
話題を呼んでいたのが"ベイドッグ"!
ピクルスなど入れ放題、というところが子供たちを中心に人気を呼んでいました。
石橋EAの"左手にグローブ、右手にベイドッグ"
そのフレーズ、覚えている方も多いと思いますが、どうでしょう?

●交流戦開始

2005年に大きかった出来事の1つとして、
交流戦の開始、というものがありました。
セ・パのリーグを超えてのペナントレースでの対決、
これはあまりにも新鮮なものもありましたが、
36試合という長丁場に、
「サンデーモーニング」で関口宏さんに、
「まだ交流戦やってんの?」とイヤミを言われたこともありました(^^;)

まだ初年度、2005年については、
チア交流もマスコット交流も、ハマスタではほとんど行われていなかった気がします。
最初にマスコット交流が日本プロ野球で実現したのって、どのカードなんですかね?
今いろいろと、文献をあさってみたりしています(^^;)

●diana誕生以前、ハマスタグラウンドで躍動した女性たち

横浜ベイスターズ専属"ダンス"チーム・dianaが誕生するのは2006年のことですが、
それまでは時折、
地域の大学のチアリーディングチームがハマスタに登場してくれて、
試合前・試合中を思いっきり盛り上げてくれていました。

慶応、フェリス、帝京などの各大学のチアチームが、
スタンツだったり、チームダンスを見せてくれたりで、
グラウンドを華やかにしてくれていました。

また、Wikipediaには、
現横浜F・マリノスのチアチーム、
トリコロール・ランサーズがハマスタを盛り上げてくれていた、
という表記もあります。
実は自分、その記憶がほとんどなく(^^;)申し訳ないです。

また、当時のハマスタには、
ボールガールやホームラン人形の進呈、リリーフカー運転などを行う、
女性アシスタントたちが常時、存在していました。
ナゴヤドームでいうところの「ベースボールメイツ」のような存在であり、
まさしく今、dianaがやっている業務の一部をされていたんですね。

自分の記憶が確かであれば、diana初年度の2006年まで、
女性アシスタントの皆さんはいらしたと思います。

彼女達が球場のイベントなどに出張って来ることはありませんでしたが、
時折、シーズン終盤などに、
ラッキーセブンの「熱き星たちよ」で、ホッシーたちと一緒に踊っている、
そんな姿は見えておりましたね。

ちなみに2005年頃ですと、他のチームでは、
チアドラゴンズに塩見佳奈さんや可児千裕さんなど、
後々チアドラを長く支えることになるメンバーが加入されたり、
誕生初年度の東北ゴールデンエンジェルスに、
40代のお母さんが加入されて話題になったり、
そして2004年に誕生した、マリーンズのM☆Splashが話題になりつつあったり、
という状況でした。

プロ野球チアも、盛り上がりを見せつつあった頃。
2006年のdiana誕生も、必然の流れだった…ように思います。

●ハマスタのマスコットたち

そんなように、ハマスタが盛り上がりを見せていく中、
マスコットの皆にも、変化がありました。
ブラックホッシーと入れ替わるように、
ハマスタに現れ始めた黒い顔。

そう、ブーブ!
TBSのブーブが、ハマスタでのベイスターズ主催試合に、
いつのまにか(^^;)レギュラー登場するようになっていました。
当時の神奈川新聞・ベイスターズフィーバーでは、
ブーブは開幕戦ゲスト、みたいに書かれていた時期もあったんですが、
そのままブーブは閉幕まで1年間しっかりハマスタに居つき(^^)
ホッシーファミリーとともに、ハマスタのグラウンドを盛り上げてくれていました。
先日アップした「熱き星たちよ」の映像、
あれでも曲の終盤に、ブーブ(親会社)を中心に回るホッシーファミリー、
という、象徴的なダンスがありましたね(^^)

ブーブは親しみやすい表情、そしてキャラクターで、
少しずつ、ベイスターズファンに、そしてプロ野球ファンに認知され始めていました。
そして個人的には、そのブーブの登場こそが、
自分をハマスタに通いつめさせる、最大のモチベーションになったものでした。

ブーブに逢いに、ハマスタへ。
それが自分の、ベイスターズファンとなる、きっかけでした。

そのブーブが、そしてホッシーファミリーが、
試合前に、グリーティングをしてくれていた、
彼らに、いつでも、気軽に逢えた場所―
それが、後の「YYパーク」となる、
内野入場券売場前広場、だったんです。


ということで!
長々と綴らせていただきました。
これが2005年以前のハマスタ、球場エンタメの記憶です。
写真が全然なくてごめんなさい(^^;)

次回更新は、いつになるかわかりませんが、
いよいよ2006年、diana誕生の1年のことを、書いていきたいと思います。
もしよろしければ、ご感想や間違いなどのご指摘、お待ちしています!m(_ _)m

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